広島県尾道市(しまなみ)の美術館/ポール・アイズピリ、ピカソ、ルオー、小林和作、梅原龍三郎、中川一政、林武などを所蔵。チェンバロによるコンサートやフレンチレストランでの食事も楽しめます。

 
なかた美術館
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尾道の今日は、久しぶりに晴れて暑い一日でした!

昨日の村上友重さんのワークショップのことも載せたいのですが、その前に「アーティスト・ミーティング」の報告の続きを・・・。

第3展示室に進んで、安田暁さんのトークです。



安田さんは、主に写真を媒体にしつつ、カメラを使わない写真や、「ある操作」を加えた写真を制作されています。

例えば、印画紙の上に直接、光るものを載せて感光させたり、プリントした写真の一部を覆ったり、複数のイメージを焼きつけたりなど・・・

安田さんはそれらの行為を、「まっすぐにしか進まない光を、むりやり曲げるようなこと。」という言い方で表していました。



写真といえば普通は、カメラを使って、実際に見えているものを、正確に写し撮ったものですよね。

しかし安田さんは写真を撮ることで、私たちが見失っているものや、見えていないものを浮かび上がらせていきます。

 

例えば 〈山を見る〉 では、写真にとって風景の一部を、金箔で覆っています。

覆われているのは、尾道駅の背後にそびえる“尾道城”。

実は“尾道城”は、個人によって建てられたフェイクの城で、当時は展望台だったのですが、現在は立入禁止の廃墟となっています。


街を訪れる人からは一番に目立つ場所にありながら、その街に住む人からは見放されてしまった、という矛盾した存在。

それを覆う金箔は、装飾ではなく、光の代わりとして使われています。

写真は、光がなければ写せませんが、光が多すぎると、写真には何のイメージも残りません。

金箔を光に見立てて、写真に写ったイメージを消してしまう、という作品です。

城がない千光寺山は、とてもありふれた山に見えます。

私たちは日頃、自分が見たいものと見たくないものを取捨選択して、見たくないものからは、上手に目を背けてはいないでしょうか。

尾道の風景の中には、実はそうやって視線から外れてしまうものが多いのではないかと思います。



また展示のはじめには、三岸節子の絵画と、安田さんの私物であるランプを置いています。

このランプは、もともと安田さんのお父さんのもので、とてもとても大切にしていらっしゃったものだそうです。

でも、お父さんが大切にしていた理由はよく分からない、とのこと。

安田さんの作品〈ランプ/ゴースト#1〉は、このランプを被写体にして、モノクロで一度焼いた写真の上に、色だけをまた重ねて焼いています。

少しずれて、うすくゆらめく色は、まるで幽霊のように見えます。

安田さんは、写真を撮ろうとすること自体が、幽霊のように不確かなものを見ようとすることなのでは、と語ります。

 

また三岸節子は、お祖母さんが好きな作家だったこと。

しかし自分は正直、今までは三岸節子を良いと思ったことはなかったこと。

でもこの作品は、意外と面白いと思えて、フォルムと色がそれぞれ別の方向を向いているように見えると話してくれました。

 

 

なかた美術館の絵画は、もともと一人のコレクターによって、ほぼ個人的な動機で収集されてきました。

その中から、再度プライベートな理由で作品が選ばれ、見られるというのは、とてもまっとうなことのように思えます。

ある作品が、誰かにとって重要なものになるのは、必ずしも、美術史的に重要であることや、“巨匠”が描いたからではなく

個人的な気づきや、私的なつながりがあるからだろうとも思います。

それぞれの作家の方に選んでもらうことで、コレクションに新しい姿が与えられているようで、そこも本展の見どころのひとつになっています。


とお誘いしつつ、明日18日(月)〜22日(金)は夏期休館となります。

大変申し訳ございませんが、どうぞご注意下さい。

休み明け8月23日(土)から通常どおりの開館です。またどうぞよろしくお願いいたします。



(上から2枚目、3枚目、4枚目:photo by Motohiro Ozaki)

 

 

「アーティスト・ミーティング」の続きをお届けします。


第2展示室では、アーティスト・ユニットの「もうひとり」が展示しています。

「もうひとり」は作家の小野 環さんと、当館ディレクターでもある三上清仁の二人によるユニットです。

当日は都合により二人が不在の開催となり、大変申し訳ないながらも、最初に少し電話をつないだ後、私から作品解説をしました。



まずは「もうひとり」の作品タイトルのひとつでもあり、今回の二人の展示に通底するテーマとなった

 “見えない彫刻”

という言葉について。


これは劇作家の岸井大輔さんが、尾道でレクチャーを行った際に生まれた言葉です。


参加者から質問があり、芸術祭やアートイベントが盛んになった近年、

もうひとりの作品のようなインスタレーションなどを、街なかや野外で見る機会が増えていること、

しかし現代アートを見慣れていない人には“美術作品”として認識されにくいのでは?という話になったそうです。



 

そこで岸井さんは同じく街中にある、野外彫刻の存在を挙げました。

たいていは人物や裸婦などがモチーフで、駅前や公園に設置されています。

それらは確かに“美術作品”だからこそ設置されたはずですが、果たして私たちはそれを美術として意識してるだろうか?と、岸井さんは問います。


実際には多くの人が、その存在を知っていたとしても、なんとなく待ち合わせの目印にしているくらいで、美術作品としては見ていないのではないでしょうか。

そればかりか、視線を回避するかのような位置にあったり、植栽やフェンス、看板などの雑多なものに紛れて、物理的に見えなくなっているものすら散見されます。


岸井さんは、そういった彫刻の存在をリサーチするため、facebook上にこの「見えない彫刻を探す」というグループのページを作り、「もうひとり」を含め参加者たちが、そんな彫刻を発見する度に、写真を撮って報告し合っているそうです。


「もうひとり」の作品にはこの “見えない彫刻” のほかにも、街の中で無視されているもの、私たちが見ていない存在がたくさん登場しています。


例えばチラシにもイメージを使った作品〈迷子石〉は、かつて氷河が運んで置き去りにした石=“迷子石”をモチーフにしています。

スイスでは駐車場や道端に、こうした石がごろごろと放置されていて、とても目立っているにも関わらず、そこに暮らす人にとっては、当たり前すぎて見えていないのだそうです。


また〈迷子石〉は、模様を印刷した紙で表面を覆っているのですが、これも見えていないもののひとつ。

焼き杉調のプリントを施した“木目調トタン”という、瀬戸内地域に多く見られる素材の模様です。


古い家が多く残る尾道では、手軽な素材として家の補修などに重宝され、すっかり景観に馴染んでいますが、

コンビニエントなトタンに、伝統的な素材の柄だけをプリントしてしまうという、実はなんとも大胆でハイブリッドな素材です。

それぞれ尾道ではない場所で生まれ育った「もうひとり」だからこそ、気づいた存在でもあり、しばしば二人の作品に登場しています。


ここでは、いわば見えないもの同士が掛け合わされているのですが、なんとも異様な存在感です。



もう一点、〈二つの泉〉というインスタレーションを紹介します。

奥に見える絵画は、美術館のコレクションである〈セザンヌの泉〉。

ルオーがセザンヌを讃えるための噴水のモニュメントのための構想画として描いたものです。

実際にはこのモニュメントは実現しなかったのですが、設置する予定だったエクス=アン=プロヴァンスの街なかには、

元々、装飾された噴水が多くあり、人々の生活になくてはならない、憩いの場になってきたのだそうです。


このインスタレーションでは、想像上の泉に、ふたつの石鹸と、二組のタオルを組み合わせており、この泉で手を洗うイメージが作られています。

見えない彫刻と、迷子になった石、実現しなかったモニュメント、境界を溶かす石鹸・・・などなど、

あらゆるイメージが数珠繋ぎのように展開して、私たちの認識を揺さぶり、新しい風景を見せてくれます。


何を見ていて、何を見ていないのか、そして何を作品とするのか、という問いは美術館にとって、常に意識しなければならないものでもあります。


「もうひとり」の作品は、本展のための新作ばかりで、まだ紹介しきれないほど。

ぜひこの機会に、直接ご覧頂ければうれしいです。

そして、ご本人たちが不在でのトーク開催となってしまったこと、改めてお詫び申し上げます。


8/17(日)、9/28(日)、10/19(日)のそれぞれ14:00〜15:00に、

ミュージアムトーク「学芸員による絵画と本の話」として、ここに書ききれない作品の話をいたします。

ぜひご参加ください。


そして「アーティスト・ミーティング」の報告も、まだまだ続きます!

どうぞお付き合いくださいませ。 

 

 


 

8/3(日)に「アーティスト・ミーティング」と題し、参加作家を招いたトークイベントを行いました。

村上友重さん、安田暁さん、稲川 豊さん。

聞き手に、AIRzine編集室からお二人、福山大学メディア情報文化学科の阿部さんと、鞆の津ミュージアムの学芸員の津口さん。

司会は私、なかた美術館・学芸員の国近です。



各作家に、作品について話していただく第1部と、車座トークの第2部。

休憩もはさみつつ、最終的にはなんと3時間半越え!!の長丁場になってしまいました。

それでも、さまざまな疑問が完全に解消されることはなく、むしろ聞きたいことが増えていくばかり…。

全然時間が足りなかったかなあと、またそれ以上に、司会の私が至らない点が多々あった故と反省もしきりですが…。

ご参加いただいた皆さま、ご質問&ご静聴、長時間のお付き合い、本当にありがとうございました!


さて、その記録として何回かに分けて、当日の様子を載せていきたいと思います。

まずは村上友重さんから。




 村上さんが写し撮っているのは、霧や星の光など。

「見たことのない風景に惹かれる」と語る村上さん。

各地を旅して、さまざまな風景を写真に撮ってきました。

その風景からは場所を特定できるものや、具体的なモチーフが極力、削ぎ落とされています。

それは、その写真に写っているイメージだけを見て欲しいから。


例えば、霧の写真があります。

ほとんど全体が真っ白で、地面や線路などの風景の断片がうっすら見て取れます。

霧は、普段生活する上では、視界を遮るもので、ものを見えなくするものですよね。

私達はこれらの写真を見るとき、霧の中に何が写っているのか、地面や線路を探してしまいます。

でも、じっと見ていると、そこにはっきりしたものが見えないからと言って、何もないわけではなく、むしろ霧というものでいっぱいに満たされているんだと気づきます。

村上さんは、その霧そのものをじっと見つめています。

 


また、フィルムの写真がどんどん減っていくなかで、素材や表現媒体に拘るつもりはない。

もしかしたら、もっと他に自分に適した媒体があるかもしれない、と村上さんは言います。

 

サイアノタイプ(青写真)の作品は、新しい取り組みのひとつです。


展覧会のはじまりに展示した、青く小さな一枚の写真。

村上さんによる本展のための新作です。

「おのみち/太陽」と、タイトルに地名が入っていて、これまでの場所を特定しない作品とは大きく異なります。


サイアノタイプは、太陽の紫外線を利用する技法です。

その場、その場の光を、直接取り込んでいるので、そのことをタイトルに記録しておきたい、とのことでした。

深いブルーのシンプルな画面に、具体的な地名が付くことで、より思いを巡らせることができます。


 

全体を通して、村上さんは、そこに起こっているある現象、とりわけ光を大切にして制作されていることが分かります。 

フィルムによる写真と、サイアノタイプ。

技法や完成イメージは異なりますが、どちらもイメージが丁寧に抑制されながら、多くを語りすぎず、静かな光をとどめています。

 


(上から2枚目:photo by Motohiro Ozaki)

 

 


 

 
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音楽鑑賞の場として、所蔵のチェンバロを中心としたバロックコンサートを定期的に開催するほか、ジャズやクラシックなど様々なジャンルの演奏家によるディナー付きコンサートも企画・開催しています。併設するフレンチレストラン「ロセアン」では、ランチ・ティータイムはもちろん、美術館閉館後もゆったりとした空間でライトアップされた庭園を眺めながらの本格的なディナーが楽しめます。

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